Change
























あれから何年も過ぎた。
何も変わらないこともあれば、大きく変わったこともある。










島は変わらない。相変わらず賑やかで、相変わらずちょっとおかしい。
リキッドの姿も変わらない。あの頃と同じ、ぴちぴちの20歳のままだ。
リキッドの日常も同じく、家事に明け、家事に暮れている。

ただ、“家政夫”では、なくなった。




今現在、パプワハウスで夕食の準備をしてはいるが、その立場は“お姑さん二号”だ。


「あああっくり子ちゃんっ!!炒め物は火の通りの悪いものからっ!!」

「はっはいっ!!」

「そっちの鍋!パスタは仕上がりがアルデンテでなきゃ!ミートソースみたいに茹であげにソースを上からかけるんじゃなくてボンゴレ・ビアンコはこの後も火を通すんだから、アルデンテの一歩手前であげておく!」

「はいっ!!」


くり子がパプワのお嫁さんになって一週間。
何かと不慣れなくり子から毎日SOSがあり、なんだかんだと世話をやいてはいる。
しかし、もう、この家には“主婦”がいる。“家政夫”は必要ないし、新婚家庭に同居するわけにもゆかず、リキッドはパプワハウスを出て、隣の家に引っ越したのだ。






一番変わったのは、そこに、“家政夫”としてではなく世話をやくべき人がいる、という点だった。







「リキッド、いつまでお姑さんやってんだ。」

「あ、トシさん、もう帰ってたんだ。遅くなってすんません。」


その人の顔を見て。
つい、満面の笑みがこぼれてしまう。










赤の番人として島に残る決意をした時、たったひとつリキッドを苦しめたのはこの人との別れだった。振り向けばいつもそこにいてくれた人がいないという事実にいつまで経っても慣れることができず、気を抜いていると後ろを振り向いて呼びかけてしまっていた。その度、誰もいない風景に呆然とし、胸の奥で疼く痛みに直面し、そしてそれを繰り返すごとにささやかだった想いが強くなってゆくことに気付かないわけにはいかなかった。

そんなに好きだったのに、どうして彼がいるうちに気付けなかったのか。
別れが避けられないものだとしても、きちんと伝えて、そして終わらせることができていたなら、こんな風にじくじくとした痛みを治す術も見つけられたかもしれないのに。

もう会えない、もう告げる事ができない、と思うほどに深く強くなる痛みを抱えてしまったことが、リキッドのたったひとつの後悔だった。











「今すぐ夕飯、支度しますね!今日は昼のうちにおでんを仕込んどいたんで、すぐ・・・・」

「リキッド。帰ってきたら真っ先にやることがあンだろう?」


あ、と言う間もなく、強い力で腕を引っ張られたリキッドはそのまま土方の胸の中へ抱きすくめられてしまった。


「・・・ただいま、のキスは?」

「もう・・・トシさんたら・・・・」


一応ひとことたしなめるようなことを言ってみる。
でも、それは甘ったるいだけで拒否する意図など微塵もないと、土方にも当然分っているだろう。


ちゅ、と軽く音を立てて唇が触れ合い、少しだけ顔を離して目を見交わせば、切れ長の目の中にある優しい瞳に、幸せを絵に描いたような自分の顔が映っていて、リキッドはほわり、と笑った。





















あれは。

星の綺麗な夜、ひとりきりで浜辺に座り、波音がこの痛みを流してしまってくれないかと、もう何度も試して無駄だと判っていたことを性懲りもなくまた繰り返していた時だった。


───戻って来たぜ?


波音に被さった低く静かな声に、リキッドは中々振りむけなかったのを覚えている。

幻覚も幻聴も、もうたくさんだった。
どうせ振り向けば、消えてしまう。ならば、あり得ない期待を抱いて後から虚しさに胸を掻き毟るより、最初から幻影などにすがらない方がいい。そう、思った。


───どうした。会いたかった、くらい言ってくれねえのか?


会いたいよ。
会いたくて、会いたくて、こんな幻聴聞こえちまうくらいに、アンタに会いたいよ。
そんな言葉も、胸の中でだけ。


───それとも中々会いに来なかったんで、スネちまったか。


しかし、“幻影”が砂を踏んで近づいてくる音はやけにリアルで、懐かしい煙草の匂いまで漂ってきて。


───・・・悪かったな。色々、後始末に手間取っちまった。山南の野郎を
     ギタギタにしたり、山崎の檻作ったり・・

───な・・・んだよ・・・妙に凝った幻覚じゃねえの・・・・

───ばぁか。本物だよ。

───嘘だ。・・・どうせ、振り向いたらアンタ消えちまうんだ。浜辺で俺の
     独り芝居なんて痛い真似させんなよ・・・


“幻覚”と会話している時点で充分ヤバいよな、と思いながらも、何故か体が震えだしていた。年中温暖なパプワ島で寒さを感じるわけもなく、どうして震えたりするのか。ついにおかしくなっちまったんだ・・・それしか思いつかないから、ぎゅっと目を閉じて、自分の肩を両腕で抱いた。可哀想な俺。バカな俺。赤の番人のくせに、なんて情けない────


───どうしても幻覚だってンなら、そうだな、折角だからいきなり襲って
     やるか。

───いいよ、幻覚。好きにしろよ。もう俺は夢の国の住人になっちまった
     らしい。ある意味、本望だよ・・・

───そうか。じゃ、遠慮なく。




そうして、自分で肩を抱いた腕ごと、背中から懐かしい温もりに包まれて、リキッドは初めて自分が泣いていた事を知った。
























「ん?どうかしたのか、リキッド?」

「ううん。トシさん、もう一回・・・・」


キスして、と言う代わりに瞼を閉じると、優しく唇が触れてきた。


「・・・もう一回・・・・」


また、キスを。



ママゴトのように甘いキスを何度も繰り返して、やがて、ママゴトでは済まない深い交わりになって。




「やけに積極的じゃねえか。」


からかうような言葉のくせに、その声音にはとっくに火がついている。それをごくごく近いところで聞きながら、リキッドはぎゅっと土方の肩へ頬を押し当てた。


「だって俺、もう後悔なんてしたくないんだ。後ンなって、失くしたモノ欲しがるような真似、二度とごめんだ。」

「そうかい。じゃ、欲しい時に欲しいモノを頂くとするか。」

「・・・・トシさん・・・・・」



おでんは後回しだ。
後、ではなく、多分明日の朝になるだろうが、その方が味も浸みて美味くなる。



灯りを消した薄闇の中で、ふたりの体はゆっくりと床に倒れこんでいった。











「パプワ様!どうしましょう!デザートのプリンが型から抜けませんわ!ちょっとお姑さんに訊いて・・・」

「よせ、くり子。お隣、今灯りが消えたぞ。」

「あら。」

「新婚さんのお邪魔をしてはいかん。」

「そうですわね・・・」

「ストーカー侍のど根性に敬意を表して、プリンは型のままで食べよう。」

「はいっ♪」























end









gin's works @ 2011.04.01up