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さっきまで激しく窓を叩いていた雨は、その降り方を変えたらしい。途切れることなくまっすぐ地面にむかって降るその雨量はまだかなりのものだが、さあさあと窓越しに届く音は少しばかり眠気を誘う。



古いカウチに背中をもたせかけ、胸に預かった細身の体の重みを感じながら、ここにバーボンでもあればそれはそれで中々いい夜なんじゃないか、と思った。残念ながら住む人を失ってだいぶ経つだろうと思われるこの家に、そんな気の利いたものはなかったし、買ったばかりだった煙草も雨に濡れて台無しだ。

仕方ねえ、と胸のうちで呟いて、酒にも煙草にも勝る唯一の“嗜好品”に目を落す。







眠ってしまったのか、さっきから一言も発しないでおとなしく自分の胸に背中を預けているその体は、濡れて失った体温を徐々に取り戻しているようだ。ただ、長い髪は簡単に乾かない。灯りのない暗がりでも、水分を含んで黒味に得た艶があまりにキレイで、つい目を奪われた。


そっと指で梳き、そのまま撫でるようにしながら一方の肩へ湿った髪を寄せ、うなじを露わにする。
白いなあ、とひそかに感嘆のため息をついて、爪先でそのラインをなぞってみた。




「・・・・ん・・・・」



やはり眠っていたのだろう。
くぐもった小さな声は、声というよりは吐息に近く、身じろぐ様子も単なる反射のようだ。
だが、それでも充分───いや、むしろ、無意識な分素直だからなのか、余計に艶めかしい。





そのまま寝てな。

ごくごく潜めた声で耳元へ囁いても起きる気配はなかった。
どうせ、このまま朝までは身動きできない。警察の猛追は降り切ったはずだが、なにしろあのとっつあんのことだ、どこで再び出くわすかわからないし、予定していたルパンとの合流地点とは反対方向へ逃走してきたから仕切り直す必要もある。ルパンの方も計画が狂って困っただろうが、まああの男は計画なんて頓挫するのも摺り込み済み、とななんとでもするに違いない。
朝になって明るくなればこの家の庭先の茂みに落してしまった携帯も探せるし、連絡がとれれば先も見える。
だが今は、することもできることもないのだ、仕事に関しては。






だから、これは束の間の休息、ということにしてもいいだろう。

髪を掻き分けて剥きだした項に、そっと唇を押し当ててみる。まるで羽根で撫でるようにそっと、だ。自分の唇の方が温度が高いからそう感じるのか、それともまだ体が本来の体温を取り戻しきってはいないのか、馴染んだ肌は幾分冷たく思えた。
しかし、滑らかなその感触はいつも通りに魅惑的で、僅かに触れるだけではあまりにも勿体ない。


両手で薄い肩を支え、耳の下から唇を滑らせるのに従って、鼻腔に雨の匂いと甘い髪の匂いが満ちてくる。唇を開いて肌をやんわりと食むと、微かに聞こえていた寝息のリズムが変わった。


起こしてしまうつもりはない。
ただ、どこまでなら無意識の反応を見せてくれるのか、それはとても興味のあるところだ。

少し体を前へのめらせて、鎖骨の辺りへキスを落し、ついでに舌でそのラインをなぞってみる。それをどう感じているものか、しっとりとした肌が目の前で緩く蠢き、耳元へ鼻から抜けるような小さな吐息が聞こえてくる様は何とも煽情的だった。





これなら酒も煙草もいらねえな、とひとりほくそ笑み、今度は左手をわざと緩慢な動きで滑らせて着物の合わせから胸元へと忍び込ませてみた。
無意識に右手を空けておくのはガンマンの性かもしれないが、相手も左手で刀の鞘を握りしめたままいつでも右手が柄にかかるようになっているのだから悪戯が過ぎて反撃された時のことを思えば、やはり楽しい作業は左手に任せた方がいい。眠っている相手にほんの少しの悪さをするくらいなら、片手でも充分だ。




実際、指先が着物の布地を通り過ぎ素肌に触れると、それだけでしなやかな体はびくり、と動いた。そのまま指を進めて小さな突起を探り当てようかとも思ったが、それではすぐに起きてしまいそうだ。

目覚めて続きを求められたらそれはその時。
もうしばらく静かにこの極上の嗜好品を味わっていたい。だからあまり強い刺激は与えないように、手のひら全体で少し冷たい肌を撫でる。修行の成果とやらか、皮膚の下には脂肪の層など欠片もなく、刀を振るうための筋肉が骨格を覆っている締まった体。柔らかさは微塵もないというのに、この肌の甘やかさはどうだ。

触っているうちに、また唇が寂しくなってきた。ヘビースモーカーはどうしても唇に優しい刺激が必要なのだ。





ちゅ、と軽く音をたてて白い喉元へくちづける。
同時に、その首はまるで“もっと”とねだってでもいるかのようにのけぞって眼前に晒された。
それならお望みどおりに、とやや大胆に喉から顎へかけて舌で舐めあげれば、指先から体の震えが伝わってきた。




「く・・・・」




その喉が動き、息を詰めるような微かな声が漏れる。
どうやら、さすがに半分ほど覚醒しているようだ。とはいえまだ目覚め切っていない弛緩した体は淫猥な気配を放ちながらうねり、こちらの悪戯を拒絶する様子はまったくなかった。

それに気を良くして、喉からゆっくり唇を目指しつつ、他の誰にも聞こえないほどの低さで、



「・・・・感じちまって眠れねえか・・・?」



と囁いてみる。



「ば・・・か・・・くすぐったいのだ・・・」


「ああ?」


「・・・・・髭・・・・・」



何だよ、折角寝ぼけた色っぽい声で応えたかと思えば、髭への苦情か。
くくっと忍び笑いを洩らして、その可愛くないことを呟いた唇へ己の唇を覆いかぶせる。




「・・・・ん・・・・」



それでも従順にキスを受け入れるのは、まだ半分眠っているからなのか、積極的にこの悪戯を奨励しようという心づもりからなのか。



「・・・くすぐったい・・・・」


「いつものことだろ。」


「・・・いつも思うが・・・斬鉄剣でそれを切り落としてやりたい・・・」


「んなつまらねえモノ、斬らねえ方がいいだろ。」


「つまらなくは・・ない。」


「究極につまらねえモノだろうがよ。」


「・・・髭のないおぬしの顔は・・・きっと至極面白いはずだ・・・・」




キスの合間に囁き交わす睦言にしては色気が足りない気もするが、束の間の休息なのだからこれもアリだ。



「俺は髭を落されたくねえからな。続き、やめとくか?」



やめる気などさらさらない証拠に、先刻遠慮しておいた胸板の上の小さな突起を指でつつく。
重なった唇の間で、熱い吐息が悩ましい声になったが、それは一瞬で。





「・・・・雨は・・・?」


「雨?まだ降ってるぜ?」


「そうか・・・・だったら・・・・・」








続きをしろ────、と囁きながら、すっかり熱を取り戻した体が伸びあがり、絡みついてきた。





もちろん。




さあさあ、と雨はまだやみそうもない。

















end











gin's works @ 2011.04.01up