Excuse































父上に、綺麗になった洗濯物を届ける習慣。
それは勿論父上の為だし、それ以上に母上の為だ。
なんだかんだ言いながら、本当に仲のいい両親だと思う。母上に甘える父上と、父上を想う母上と、今ふたりの間にある距離なんかきっと何ほどのものでもないのだろうな、と。

でもわたしはまだ未熟だから。

距離に抗う術など見つけられない──────








「おや利吉さん。」


門をくぐろうとしたところで事務員の小松田くんに呼びとめられた。入門票に名前を書け、というんだろう。わたしの素姓なんか嫌という程わかっているのに律儀な事務員というか面倒くさい男というか。でも文句を言う方が数倍面倒だからここは素直に名前を書く。


「山田先生ならさっき食堂にいらっしゃいましたよ。」

「そう、ありがとう。」

「土井先生も。」


ぎくり、と肩が揺れた。

行き過ぎようとした小松田くんの方を咄嗟に振り向くと、彼はにこにこと笑って、聞こえなかったとでも思ったのか、もう一度


「土井先生も、食堂にいらっしゃいました。」


と少し大きな声で言う。

他意はないはずだ。
絶対に。


でもなぜわざわざ土井先生も、なんて言うんだろう。


「あ・・ありがとう・・・・。」


それ以外応えようがなくて、わたしはドキドキする胸を押さえながら歩きだした。
わたしは父上に洗濯物を届けに来たのだ。だから父上に用事があるのであって、父上に会えればそれでいい。
そうわたしの来訪の目的はそれだけだ。誰が見たってそうじゃないか。











「あ、利吉さんだぁ!」

「やあ、一年は組の諸君。」


馴染みの三人組を見つけてわたしはほっと胸をなでおろした。
小松田くんの何気ないたったひとことで動揺していた自分が情けなくておかしい。


「山田先生に洗濯物のお届けですかぁ?」

「うん、そうだよ。」

「先生ならまだ食堂ですよ。」

「ありがとう。」

「土井先生も食堂でえす!」

「・・・・・・っ?!」








な─────なんで・・・・・・・?




再び心拍数の跳ねあがるわたしをそこへ残して三人組は昼休みだ〜、バイトだ〜おやつだ〜、と駆けてゆく。



何故?
何故あの三人組まで、訊いてもいないのにあたりまえみたいに、土井先生も、なんて言うんだ。













「おや、利吉くん。」



「ひいっ!」


フリーランスの忍びにあるまじきことだが、近寄る気配に気づかなかったわたしは思わずその場に飛び上がった。


「が、学園長先生っ?!」


さすがは忍術学園の学園長、彼が忍びよる気配なら未熟なわたしに───それも、動揺しまっくっている今のわたしに、気付けなくても仕方ないか。


「山田先生への届け物かね。毎度毎度、大変じゃのう。」

「は・・・・はい。いえ、これも親孝行ですので・・・・。」

「うむ。感心感心。山田先生なら食堂におったぞ。」

「は、はいっ!」


まさか学園長まで余計な事は言わないだろうとは思ったが、これ以上の負担は本気で心臓に悪い。わたしはそそくさと適当な礼をして食堂にむかって小走りに駆けだした。


「おいおい、そんなに慌てなくてもまだしばらくはおるじゃろう。土井先生もな。」








だからどうしてっ?!




わたしは自分の顔が真っ赤になっていることを確信した。なんだってみんなして、土井先生、土井先生って・・・・!
わたしの顔に何か書いてあるのだろうか。
土井先生に会いにきました、とでも─────


────土井先生に・・・・・・



────会いにきました・・・・・・・




ぐっと喉の奥に何かがこみあげてくる。








そうだよ。
会いに来たんじゃないか・・・・・。






ついで、じゃなくて。

むしろ、ついでなのは父上の方で・・・・・。


















「お、利吉。来てたのか。」


食堂の入口に立つと、こちらを向いて昼食を摂っていた父上がわたしに気付き、にっと頬を緩める。
その正面に座っている土井先生の背中に、さっきから浮ついていたわたしの心臓はぎゅっと締め付けられた。


「ああ、利吉くん。」


振り向いて、笑顔を浮かべる土井先生は、すぐにわたしの背負った荷物に気付いたらしく、


「山田先生。まぁた奥さんに洗濯物頼んだんですか?大した衣類もないんだから自分でやればいいでしょうに。」


それはいつもわたしが父上に言うセリフだったけれど────


「ま・・まあ、母上もなんだかんだと父上の世話を焼くのが嬉しいようですから・・・」


嘘じゃない。
でも。


「そうだな、その洗濯物のおかげで君も時々こうして父上に会いに来られるんだしな。」


再びわたしに顔を向けた土井先生に、わたしはつい首を振りそうになった。
違う。
父上ではなく。





あなたに。






「そういうわけだから、利吉。次の洗濯物も頼む。ああ、すぐにまとめて今持ってくるからちょっと待っててくれ。」


父上はそう言って立ち上がり、私から洗いたての衣類が入った風呂敷包みを受け取ると、そのまま軽い足取りで食堂を出て行った。いつもならそこで一言、母上に代わって小言の一つも言うのだけれど、生憎、今ここに土井先生とふたりきりで残されたことを意識して声など何も出なかった。


「利吉くん。」

「は、はい!」

「座ったらどうだい?」

「あ・・・はい・・・・」


わたしはぎこちなく頷き、先刻まで父上の座っていた席に腰を降ろそうとした。
だが。





「・・・・隣。」


え、と不意に低く告げられた言葉にわたしが戸惑うと、土井先生は今度は無言で自分の隣の椅子を引き出して背を向けたままそこへ座れと手で指し示す。



隣。
わざわざ隣へ座る意味が測れずに一瞬躊躇したけれど、断る理由はさらになく、わたしは自分でもはっきり分かるほど体を固くしながらその椅子へ腰を下ろした。


「利吉くん。」

「は・・・・はい。」


土井先生は箸を持ったまま、けれどまだ半分以上残った昼食の器に手をつけることなくわたしを呼ぶ。食堂にはふたりきり、おばちゃんも外にでているのか厨房にも人の気配はないというのに、押し殺した声で。


「・・・君、先月山田先生に洗濯物を届けた時、母上からの手紙、というのを一緒に渡しただろう。」

「え?あ、はい、渡しました。」

「それ・・・・間違えてたよ。」

「間違えて・・・?」


どういうことですか───、と尋ねる前に、わたしははっと息を呑みこんだ。
まさか。








母上がしたためた手紙の内容はわたしも知っている。さもない近況報告、それも大して代わり映えのしないとてもとても平和で穏やかな内容を、母上はわたしの目の前でさらさらとしたためたのだから。わたしはそれを、懐にしまって家を出た。
もう一通、絶対に相手に渡ることのない手紙とともに。
そしてわたしは、母上からの手紙を父上に渡し、懐に隠し持っていたもう一通の手紙は帰りがけに河原で燃やしてしまった。


───はずだった───




「まさか・・・・ま・・・」








燃やしたのが母上の手紙で、父上に渡してしまったのが────












───お慕いしています。





明日は忍術学園に行くのだと思うと、胸躍るようで、そのくせ泣きたくなるほど切なくて、眠れなかったその夜、死んでも伝えることなどできない募る想いを渡すつもりのない手紙に綴った。




───一目お会いできるだけで幸せです。

───でもいつも近くにいられたら・・・

───できることなら貴方のその腕に・・・・

───土井先生














顔から火が噴きだした。
いてもたってもいられない。いっそこの命をここで絶ってしまいたい。




「利吉くん。」


けれどこの場所を離れることすらできなかったのは、土井先生がわたしの腕をしっかりと押さえたからだ。
傍からはちょっと触れているようにしかみえないけれど、容易には振り払えないほど、強く。


「山田先生はいつも通りの奥さんの手紙だと思って、照れ隠しのつもりでわざとみんなのいる前で読んだんだよ。」

「・・・・・・っ!」

「一瞬、空気が凍りついたけどね。わたしが、実はわたしと利吉くんはずっと前から相思相愛のお付き合いをしていたのだ、と言ったら、どういうわけかみんなそれで納得して、むしろ祝福されたよ。」

「土井・・・先生・・・・」

「そんなわけで、今、学園の中でわたしと君は公認、ということになっている。」

「こっ・・・?!」



ああ、だから────。



学園中から、わたしは土井先生に会いに来たついでに父上に洗濯物を届けるものと思われているのか。




腑に落ちると同時に、わたしは隣から僅かな距離を隔てて感じ取れる土井先生の気配が苦しくて目を伏せた。
土井先生に会うために父上をダシにしてるのは間違いのない事実だ。
けれど、それはわたしだけの秘密で、いや、わたし自身すら自分を誤魔化して否定していたくらいの真実で。
土井先生に告げるつもりなんかなかったし、ましてや土井先生を巻き込むつもりもなかった。


「・・・・申し訳ありません・・・・・」


こうしてすぐ近くにいるというのに、わたしは顔をあげられない。
あんなに焦がれた人の顔を、見ることができない。


「どうして謝るのかな、君は。」


相変わらず先生の声は優しいけれど、わたしの酷い間違いのせいで、わたしの勝手な想いを突きつけられて、あろうことか恋人のフリまですることになってしまって、きっと物凄く迷惑しているのに違いない。


「どうしてって・・・・気持ち悪いでしょう・・・?」

「分らんな、君の言うことは。あの手紙は君の本心じゃなかったのか?」

「ほ・・・本心です・・っ!だからこそ、先生、迷惑でしょう?!」

「わたしがかい?いや、むしろ勝手にお付き合いを始めてしまって悪かったなあと思ってるんだが?」


穏やかに言って先生が小さく笑う。
何故?
何故、このひとはこんなに優しいんだろう。
勝手にお付き合いを始めてしまって────、なんてそんな柔らかな声音で言われたら・・・・・






え・・・・・・?





お付き合いを・・・・・・
始めて・・・・・・







「あの場ではそう言ってすぐに、そういう冗談をふたりで仕組んだのだ、というオチにしようと思ったんだよ。なのにここの連中ときたら、そうだったのか、いやそうだと思った、なんだもっと堂々としてればいいのに、・・なんて言うじゃないか。どうやら、周りにはバレバレだったらしいね。」

「バレバレ・・・って・・・わ、わたしの、あの手紙に書いたような・・・気持ちが、ですか?」


思わず、顔をあげて土井先生の方を向いてしまって、一気に体中が真っ赤になった。
けれど土井先生は平然としていつものように笑っていた。


「むしろ、わたしの方さ。」

「・・・・え?」

「きり丸なんか“良かったねえ土井先生、片想いじゃなかったんだぁ”とね。」

「か・・・・片・・・・」




それって──────




いや、これは夢に違いない。
そうだ、こんな都合のいい展開、あるわけないじゃないか。
土井先生も同じ想いだったなんて、そんな、・・・・・・


「だから、先に公認になってしまったんだが・・・肝心の君に了解を得てなかったよな。」

「何・・・・何言ってるんですか・・・」

「何って・・・交際を申し込んでいるんじゃないか。」

「・・・・・」

「ここでフラれたらわたしは相当可哀想な立場になるんでね、できればオッケーして欲しいんだが。」


わたしはすっかり混乱してしまっている。だから、土井先生になにか物凄く嬉しいことを言われているはずなのに、目を見開くこと以外、何もできない。こんなこと、俄かに信じられるほどわたしはおめでたくできてはいないんだから。


だけど。


土井先生の手が伸びてきて、わたしの肩にそっと触れる。



「ずっと、君のことが好きだった。わたしの念弟になってほしい。」

「土井先生・・・・」


これ以上ないくらい正式な申し出を、これ以上ないくらい優しくされて、もしこれが夢だったとしてもいつまでも忘れられない大切な夢になるだろう。







わたしはようやく、大きく息を吸い込んで、無言で頷いた。







「よかった。」


そんな風に笑ってくれるあなたの顔が、何か熱いものでぼやけてしまうのが勿体ない。

大好きなあなたの優しい笑顔が、わたしだけに向けられているというのに。


ずっとずっと、魂に焼きつけておきたいのに。









「じゃあ、もし山田先生がご自分で洗濯をするようになっても、堂々とわたしに会いに来てくれるね。」

「え・・・?」




ああ、そうか。
わたしは堂々と、土井先生に会いに来ていいんだ。


じゃあ、この笑顔も、今は涙で霞んでしっかり見えなくても、構わないんだ。


いつでも見られるんだから。
いつでもわたしの望む時に。


「はい。」


わたしの肩にそっと乗せられていた土井先生の手が静かにわたしを引き寄せる。その意味が分らないほど、わたしだって子供じゃない。
やんわりと引かれる力に素直に従いながら、わたしは────ゆっくり目を閉じた─────














「うぉっほん!!」







わざと、だ。
このタイミングで戻ってくるなんて。
絶対に、わざと、だ。


食堂の入口に立ち現れた父上に向けて、思いっきり厭な顔をしてみせたが、父上はさらりと視線を外すとさも当然のようにわたしの前に風呂敷包みを置いた。


「しかしだ、君たち。そうは言ってもやはり気恥かしいものだろう。よってわたしの洗濯物は今後とも口実に使ってくれて構わないぞ。どしどし、使いなさい。」

「父上。余計なご心配は無用です。」

「余計な心配とは何だ。折角こうして気を利かせてやっているというのに。」

「気を利かせて下さるなら、今すぐここから出て行ってくださいませんかね?」

「な、なんと!」


父上は心外そうな顔をしてみせた。
でも、分ってる。あの手紙を読んだ時点で、父上はわたしの土井先生への気持ちを初めて知ったのではなく、確認しただけなんだ。きっとそうにきまってる。何と言っても、わたしの尊敬する父上は人情厚い優秀な忍者なのだから。


「仕方ない。邪魔者は消えてやるとするか。だが、土井先生。」

「はい?」

「・・・うちの息子を泣かせたら承知しませんからな。」

「無論です、山田先生。」


にっこりと笑い強く言い切った土井先生に、それ以上かける言葉は見つからなかったのだろう。父上は風呂敷包みはそのまま放置して、くるりと背中を向けた。


その背中を見送って、わたしたちはくすり、と笑い合い────





それから、誰もいない昼下がりの食堂で、初めてのくちづけを交わした─────。



















end












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in's works @ 2011.04.01up